かたつむりのフランス語カフェ

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フランス代表FWキリアン・エムバペのルーツ アフリカ出身のスポーツ万能一家

2018年W杯・ロシア大会に若干19才でフランス代表として出場、目覚ましい活躍を見せてフランスを優勝に導き、一躍スターダムにのしあがったキリアン・エムバペ Kylian Mbappé(25)。その後、フランスのクラブチーム、パリ・サンジェルマン(以下PSG)の顔として、リオネル・メッシ(アルゼンチン)、ネイマール(ブラジル)らとともに新銀河系軍団を形成。2023年夏にはレアル・マドリードへの移籍の噂が持ち上がったが、結局PSGに留まった。PSGファンはほっと胸を撫で下ろしたことだろう。現在では、フランス代表のキャプテンも務め、世界最高のサッカー選手との呼び声が高い。

では、そのエムバペのルーツはどこにあるのだろうか?

目次

スポーツ万能一家

キリアン・エムバペ・ロタンは、1998年12月20日にフランスのパリ19区に生まれた。父と母はいずれもアフリカにルーツを持つ元スポーツ選手である(父はサッカー選手、母はハンドボール選手)。この両親と7歳年下の弟エタン、そして血は繋がっていないが10歳年上の養子ジレス・ケムボ・エココと共にパリ郊外のボンディでキリアンは育った。ジレスは6歳の時にコンゴ民主共和国を離れ、キリアンの両親に養子として引き取られている。エタンもジレスも後にプロのサッカー選手になることを考えると、スポーツ万能の家庭でキリアンは育ったといえる。

カメルーン系の父

父ウィルフリッド・エムバペ・ロタンは1970年カメルーンのドゥアラ生まれ。元サッカー選手であったが、パリ郊外ボンディのスポーツクラブAS Bondyで少年の部(15歳以下)のコーチになった。キリアンは5歳のときに、このクラブでサッカーを始める。コーチとしては、サッカー選手より人間を育てるのがモットー。家では父親、ピッチの上ではコーチという公私を混同しない指導方針で、周りの子供もはじめのうちウィルフリッドがキリアンの父親だと知らなかったほどである。あるときキリアンがうっかり「お父さん」と言うのを聞いて、「冗談はよせよ(笑)」とからかわれたという逸話がある。キリアンは2011年まで父の指導のもとで成長し、2011年にAS Bondyを去って、ティエリ・アンリなども輩出したクレールフォンテーヌ国立サッカー養成所に入る。

アルジェリア系の母

母ファイザ・ラマリは1974年パリ郊外ボンディ生まれ。アルジェリアのカビリ地方にルーツを持つアルジェリア系フランス人である。彼女もボンディのスポーツクラブAS Bondyでハンドボール選手として2001年までキャリアを重ねた。キリアンがスター選手になってからは、息子の代理人を務め、肖像権、広告契約、コミュニケーション部門を担当。

キリアンの二つのルーツ

したがってキリアン・エムバペは、カメルーン系の父とアルジェリア系の母というふたつのルーツをもつことになる。W杯・カタール大会への切符をかけてカメルーンアルジェリアがぶつかった時、記者の質問に応えてキリアンはこのように語っている。「カメルーンアルジェリアはボクの一部だ。どちらも応援する。ボクには複数のルーツがある。国籍はフランスだけど、ボクのルーツはカメルーンアルジェリアにある。自分のルーツを否定することはできないし、そのことに満足している」

 

サッカー選手としては、ジネディーヌ・ジダンクリスティアーノ・ロナルドがキリアンのアイドルだった。